ごはん
味噌汁
煮豆
 
ポケット六法に世界人権宣言が掲載されていたので読んでみたが、これはすごいな(ここにもある)。力強い筆致で、読む心に迫り来るものがある。人類の財産というのも、あながち嘘ではない気がしてくる。
しかし私は、人権とか権利とかいう言葉を信用していない。権利なんてそんな特別なものじゃない。およそ権利というのは、「一層大きな自由のうちで社会的進歩と生活水準の向上とを促進すること」(前文)のためにあると思うからだ。これをひとことで表現するために、つまり便宜的に、権利という言葉があるにすぎない。権利というと功利的なことがらとはぜんぜん別な形而上的なものであるかのようにイメージしてしまいがちだけれど、実は功利的な事柄にしか適用すべきものじゃないと思う。
男女の権利平等とか、いろんなところでみんなが権利権利っと言っていて、しかもその意味がえらく複雑になっているように見えるけれど、ほんとはもっと単純で味気ないものだと思う。
古い話だが、サカキバラの顔写真を公開しろ、われわれには凶悪な犯罪を犯した彼の顔を知る権利がある!と言っていた人たちがいたが、彼の顔を知ってどうなるのかぜんぜんわからなかった。そんなに見たければ、それを見ることでどれくらいみんなにとっていいことがあるのかを説明すべきだろうと思った。説明ができなければ、そんな「権利」を主張することはできない。悪趣味な好奇心だけでサカキバラ君が将来更生するかもしれない可能性と、その後の彼のまともな生活の保証をうばってはいけない。彼にだって「一層大きな自由のうちで社会的進歩と生活水準の向上とを促進すること」に寄与する可能性があるのだから。その意味で、悪趣味な人たちの「知る権利」なんかよりも、サカキバラ君の生活を守る権利のほうが多きいはずだ、と思った(そんなこと言ったら彼は嫌がるかもしれないけど)。
同じような話は他にいくらでもある。そのたびに、何か「権利」の使われ方が変だなと思う。
 
ごはん
ほうれん草とコーンのバター炒め
コロッケ
煮豆
かぼちゃのカレー粉炒め
 
コカコーラの「コカ」はコカの葉のコカであり、つまりはコカインのコカであるとの噂がある。
これは単なる都市伝説だと思っていたけれど、一度はまると毎日飲んでしまうあの中毒性を考えると、確かにそうかもなあと思ってしまう。でもいくらなんでも、違うだろう。商品名にそんなよこしまな名前をつけるはずがない。
じゃあコカっていったい何なのだろう。
日本コカコーラ社のホームページを見てみると、FAQにコカ・コーラの名前はどのようにしてついたのですか?という項目がある。これによると、「頭韻をふんだ、覚えやすい名前」だからコカコーラなのだという。ふうん。なるほど。
余計怪しい。
 
本家 Caca-Cola でもコカインについての言及なし。伝説と噂のページ(ここ)でもくだらない質問ばかりでつまんなあい。メリケン特有の機知に富んだ答えを期待したい。ほんとに入っていると思っている人なんていないんだから。
 
と思ったら、はてなのキーワードに「コカの葉とコーラの実を混ぜて作った飲み物」とある。誰だいこんな野暮なこと書くやつは。
 
ごはん
味噌汁
かぼちゃのカレー粉炒め