heppoco2006-02-26

ごはん
オーツ味噌汁
 
昨日ロックチョコを作ったときにオートミールを買ってきたのだ。それがあまっているので味噌汁に入れてみた。そしたらとてもおいしくて驚いた。
オートミールといえばアメリカ人がよく食べているやつだ。アメリカ人の食べ物と言うとほのかに不味いものばかりな印象があるのだが、なんのなんの、うまいぞこれ。アメリカ人の食べ物もおいしいじゃないか。味噌汁にぴったりだ。味噌がある日本に生まれてよかった。いやまあ、味噌以外にもいろいろと合いそうな感じがするよ。
 
オーツ粥
キャベツともやしのオイスターソース炒め
 
今までツーカーだったのをauにしたのである。ほとんど使っていないので解約してもよかったんだけど、うーん、まあいいか・・・ってことで一番安いプランでauに契約変更。
はじめはツーカーのプリケーにしようと思っていたのに、店に行ってみるとauを勧められた。なぜかというと、ツーカーからプリケーに乗り換えるとなると、いったんツーカーの解約をすることになるから手数料が9,000円ほど(プラスプリケーの料金で12,000円)かかってしまうとのこと。そんな大金を支払わなきゃいけないというのは私にバイトをやめて正社員になれといっているようなものだ。2年契約が満了すればそんな手数料はかからないが、満了は今年の11月であるからそこまで待ちきれないでしょう、ってことでプリケーは却下。そうすると必然的にauになるのだな。ツーカーの場合は一番安いプランでも基本料金で3,500円ほどかかってしまうのにauなら2,300円(だったとおもう)。今まで調べもせずに、ツーカーはしょぼいから安いのだろうと思い込んでいたのだが、実は高いのだ。ツーカーのメリットないじゃん。
そんなツーカーはもうなくなっちゃうんですかと、ぶしつけな質問を店員にしてみたところ「まあ増えることはもうないでしょう」と言っていた。そ、そうか、突然いらんことを聞いてしまったな。
メールアドレスが変わったぞーとアドレス帳に登録してある大勢の人たち(5人くらい)にメールを送ってみると、大量のメールが(3通くらい)届いて、みんな「久しぶりー」と言ってくれるのだった。本当に、久しぶりだ。いかに人付き合いがなかったかを実感できる。しかしこうしてみんなと私が、細い線であってもかろうじて久しぶりの関係を維持しながら、お互い忘れずにいられたらいいなと思う。
 
ごはん
キャベツともやしのオイスターソース炒め
煮豆
 
高速道路で睡眠時無呼吸症候群のバス運転手が居眠りをこいて中央分離帯に激突した。その反動で左斜線を走っていた親子連れのセダンが、バスとガードレールにすりつぶされ炎上。この現場を目撃した後続の運転手が119番に通報したおかげで消防隊はすぐさま到着するも、状況はすでに絶望的に見えた。セダンの同乗者は即死だと誰もが思った。消防隊員でさえ、「バスの乗客を救助することと類焼を防ぐため」の仕事、と半ばセダンのことはあきらめていた。
しかし子供の泣き声がかすかに聞こえる。バスからか?いや、あの炎上しているセダンからだ。あの車の中で、子供が、まだ生きている!?
消火活動では間に合わない。子供の救助が先決であろう。でも、どうやって?炎上する車に乗り込むのか。それは無謀である。下手をすれば子供ばかりか救助にあたる隊員まで犠牲になるかもしれない。でも、子供が・・・
さてこれは私が作った下手くそなフィクションだが、ある意味で「ありふれた」場面設定といえる。このあと隊員はどうするのか。自分で書いておきながらなんだが、たぶん子供の救助に向かうんだろうな、と思う。だって子供の命がかかっているんだもの。安物のフィクションだからそういう展開が期待されるところだ。
でも安物でないフィクションでなら、どうなんだろうか。もっと違う路線の受けを狙うとすれば、ほかの展開はありうる。勇敢と見せかけた消防隊員がセダンのドアに手をかけた瞬間、「うわちー」といって耳たぶに手を当てるとか。余計安物だ。
まあそんなのはどうでもいいんだが、私が思うのは子供の命がかかっているというと、どんな危険を冒してでもなんとかすべき!という話になりがちなのが気になるのだ。子供の命がかかっているとなると、みんなの目の色が明らかに変わる。これは、なぜだろう?
なぜだろう?・・・って、考えてもわからないのだけど、なぜだろうと思ってしまう。本当に子供はそんなに大事なものなのか。これは、言ってはいけないことなのかな。命をかけて子供を救うのは母親の本能だ、というのもよく言われる。ほんとにそうなの?昔は間引きとかやっていたと聞くが。
かといって間引きを平気でやるのが人間のリアルな姿だ、ということを言いたいわけじゃない。言いたいのは、家族だから子供だからという理由でどうしてそこまで本気になれるのかがわからないということだ。子供が死んだらもう一人生めばいいじゃん、と思うが・・・これは生みの苦しみを理解しない男だからいえることなのかもしれないけど・・・。自分の子供を守りたいという気持ちは(私には子供がいないが)なんとなく理解できる。でも、なんか、変だなと思ってしまう。あーこういうことを書くとまずいのかなあ。
たしか山形浩生が、家族っていうのは単なる制度でしかない、みたいなことを言っていて、それを読んですごくすっきりしたことがある。かならずしも必然的なものではないというか。だから実は「かけがえのあるもの」で、そんなに大切なものではないんじゃないか、と。だからたぶん、子供もそんなに大切なものじゃないかもしれないぞ。要はみんなそう思わされているだけなんじゃないの、と、こういうことを書くとまずいのかなあ。