heppoco2006-02-21

ごはん
味噌汁
五目煮豆
さつまいもの甘煮
 
私は文系タイプだから、人生にはなにかもやもやとしたモザイク状の素敵なものがあって、私はそれをずっと明らかにしたいと思っていた。それは合理的に考えていくことでは決して割り切れないものであって、仕事とか、お金とか、人付き合いとか、食事とか、そういう世間的な事柄をいくら充実させても、「素敵なもの」を明らかにはできない、と思っていた。そこはずっと譲れなかった。
でも、自分がどういうときに楽しかったりうれしかったり感動したりするのかな、ということを見直してみると、実はかつて私が期待していたほどにはもやもやとしたモザイク状のものではないような気がしてくる。それは結局、食事がおいしかったり、動物園が楽しかったり、仕事がうまくいったり、そういういわばくだらないことに触れているときが最高だったりするのである。もちろん、ニーチェなんかの崇高(?)な思想がピタッと実感できたときの、あの充実感は本当に何物にも代えがたいものがある。でもそれはいわば特大ホームランであって、そればかり狙っていてもいいことはあんまり増えない。それならもっとささいで当たり前のことを楽しめたほうが、ずいぶんと幸福じゃないか。
たぶん人生はもっとシンプルで、わかりやすいものだ。みんなが、「期待」するほど難しいものじゃない。人は自分の人生が複雑で、奇怪なものであってほしいと思いたがるものだ。未知なものにあふれていて、いつまでたっても誰にも明らかにできないもの、人の心は捉えがたいもの、であってほしいと思っている。そうであるべきだ、とさえ思っている。
まあ、それはそうなのだ。私だって賛成だ。
でも、そんなに難しいことばかりじゃつまらないでそう。
わかりやすいシヤワセ(お金、生活、娯楽):90%
わかりにくいシヤワセ(哲学、文学、愛):10%
今の私は、これくらいの比率で生きている感じがする。わかりにくいシヤワセもいいけど、それってあるのかどうかもよくわからないし、これくらいが楽でいいや。 まあ、こんな比率自体が傾向だから、ころころ変わるんだろうけど。実際2,3年前までは正反対だった。
何がいいたいかというと、もっと合理的に生きていこう、という方向に向かっているというだけの話だ。解決不可能な問題は、解決できるくらいシンプルな形にして解決すればいい。それはきっと、楽しくて役に立つことだ。そうすることで、何か大切なものが失われてしまうという可能性も、あるのかもしれないけれど。
 
ごはん
ニラともやしの炒め物
さつまいもの甘煮
ブロッコリー
 
昨日の予想を上回って21時半まで残業した。残業自体はそれほど嫌ではないが、腹が減るのがやりきれん。昼用と晩用で弁当を二つ持って行くべきか。弁当があれば済むことに金を使う気にはなれなくて、コンビニのパン1個ですら買うのを躊躇してしまうのである。だからいつもがまんして家に帰ってから食べるようにしている。
でもやっぱり仕事中に腹が減るのがつらいので、今日は実験としてコンビニでパンを買って食った。そしたらすごく楽に仕事をこなすことができた。やっぱり空腹が一番の大敵のようである(二番目の大敵は Word の見出し設定)。弁当とまではいかなくても、晩用の軽食くらいは持っていくのがベストソリューションか。
 
これも昨日の予想通りだが、昨日停めていた駐輪場は夜21時半には誰もいなくなっている。なので、延長料金を支払わずに出てきた。「時間外用の箱に延長分の利用料金をいれてください」という札がハンドルについていたが見なかったことにした。すまんがわたしゃそこまで善人じゃない。
都庁近くにある「新宿駅西口駐輪場」だ。いつも空いてるし、なかなかいいです。雨の日はロードバイクがたくさん停まっているのもまた楽しからずや。
 
ごはん
味噌汁
さつまいもの甘煮
ひじきと薄揚げの煮付け