heppoco2006-02-17

ごはん
味噌汁
納豆
たまご焼き
 
私が書く文章でいちいち間違いを訂正したらきりがないけれど、昨日のコンサルタントの説明は訂正しておく。
コンサルタントというのは、客の漠然とした思いを形にしてあげるのが仕事だ(意思決定は、基本的にはしない)。”
と書いているが、これは違う。言うとすれば、
コンサルタントというのは、客の意思決定を支援するためのデータを提供する仕事だ(意思決定は、基本的にはしない)。”
んー、たぶんこれであっていると思う。コンサルタントが何であるかは、まだよくわかっていないんだが。
 
ごはん
ニラともやしの中華炒め
ちくわの磯辺揚げ
ブロッコリー
 
実家で飼っている犬は雑種で、しかも捨て犬である。生まれて1ヶ月もたっていないような状態で、とある駐車場のダンボール箱に入っていた。そんな状態から飼いはじめたためかあるいはしつけが悪かったのか、性格が甘えを通り越してふてぶてしい。家にいるときはつかず離れずの状態で呼んでもこないし、触ったら迷惑そうな顔をする。そのくせ家族みんなが外出するとベランダに出て遠吠えをするという寂しがりっぷりだ。いぬのきもちって複雑である。
基本的には寂しがり屋なのだと思う。そこがほほえましい。そして最小限の力しか使わずに、家族を頼りつつ生活している様子は、まあ癒しの効果だって実際あるんである。でも言うことを聞かなくてちょっと腹が立ったときは「おまえなんかひとりで生きていけんくせに」などといってぶつぶつ文句をつけたりする。ひとりで生きていけないのは私だって同じ事なのに。
自然界では食物連鎖という厳しい定めがあって、カバも猿もトンボもイワシも、弱肉強食の中を一所懸命生きている。それぞれが縄張りを持ち、群れを作るなり体を大きくするなりして、天敵から身を守りつつも食べ物を捕獲しなきゃいけない。生存率の低い幼児期を生き抜き、異性を探して命を懸けて生殖し、寿命を迎える前に食われてしまう。それはとてもとても厳しい競争原理なのだ。残酷だ、なんて悲嘆にくれている暇はない。生き物たちはそんな環境の中で淡々と生きてゆくしかないのだ。もし実家の犬が、そんな自然界にひとりほっぽり出されたらもう生きるすべを失って、一ヶ月もたたないうちに文字通り犬死してしまうであらう・・・。まあ聞きなれたお話ではある。でも、この聞きなれたお話って、本当にそうなのか?と思ったことはないだろうか。

この本は「自然界には厳しい競争原理が働いている」という”科学的常識”は本当だろうか?という疑問を投げかける野心的な本だ。実は生き物の多くは、のんびりと、ほそぼそと生き延びているだけではないのか。金沢城址の池に生息するヒキガエル、なんと1526匹を9年間追跡調査した、愛と感動と驚愕に満ちたドキュメンタリー。学問、科学、近代社会を問い直す一冊!であります。裏表紙の文句をそのまんま引用しちゃいました。なんともうまいコピーだ。このコピーを読むだけで本書の半分くらいは理解したことになる。
まあヒキガエルはのんびりしている。まず縄張り争いがないし、冬眠ばかりか夏眠までする(変温動物だから)し、繁殖期でもメスの取り合いが起こらない。極めつけはあのルックス。何から何までのんびりしているのだ。こんなのんびりした生き物が大昔から生きながらえてきたのだから、自然界の競争原理って、淘汰ってほんとにそんな厳しいもんなの?ダーウィンの言っていたことってほんとなの?と疑問に思ってしまうのである。
「自然界の競争原理」をすべての生物に適用することが間違っているんじゃないかと著者は言う。競争原理にさらされていない動物もたくさんいるはずなのだ。競争をして危険な目に遭いながら勢力を強めようとする動物も、たしかにいるんだろう。でもそればっかりじゃなくて、ヒキガエルのようにそれぞれがニッチを見つけてそこにおとなしく暮らして生き延びることを選択する動物もいるのではないか、と。ははー、恐れ入りました。私もそう思います。
ということは、だ。私の実家の犬も、ひょっとしたらひとり立ちして野生で暮らしていけるんじゃなかろうか。のんびりと、奈良の山で草を食み、虫を食い。餌代もかからないし、いいなあ。やらないけど。
ひょっとしたら人間も、そうやって自然界で暮らしていけるかもよ。アウトドア派でひきこもりの私にぴったりじゃないか、いいなあ。やらないけど。
 
ごはん
味噌汁
ニラともやしの中華炒め