ごはん
味噌汁
納豆
ニラともやしの炒め物
 
自転車の保守です。
リア変速機(ディレイラー)のワイヤーが急にブチっと音を立てて切れた。

こんな感じで。ううむ、錆びているわけでもないのに、こんなことってあるのだな。ブレーキのワイヤーが切れたらしゃれにならんので、ブレーキ用のも買ったほうがいいんですかと自転車屋で聞いてみたら、ワイヤーが切れるのはめったにないから大丈夫でしょ、とのこと。へー、そうですか。まあたしかにワイヤーって伸びるとは聞くけど切れたっていう話はきかないものね。というかふつう買わせるだろ!ここで売らないとは、良心的な自転車屋だ(上野のasazoです)。
というわけでワイヤーを買ってきた。

なんとシマノの最高級ロードパーツのデュラエースだ。はじめてのデュラエースでござい。252円だけど。
1.まずはリアディレイラーのワイヤー固定ボルトをはずす。

2.ニッパーでワイヤーを切る。固定をはずしてからでないとニッパーでディレイラーを傷つけてしまうやもしれないので。ワイヤーを切るときは飛ぶので気をつける。

3.あとは引っ張るだけでするすると外れてくれます。カンターン。

4.お次は取り付け。ブレーキレバーの赤丸らへんにワイヤーを通す穴があるので通してゆく。

5.アウターケーブルやガイドやディレイラーに通す。道具は必要ない。ちなみにガイドについているアジャスターはちょっとだけ緩めた状態にしておくといいと思う。最後に微調整をするため。



6.レンチでディレイラー側のボルトを固定する。

7.ワイヤーのあまりの部分はニッパーで切る。切り口にエンドキャップをつけないとほつれるんだが、買うのを忘れていた。10円くらいで売ってます。

あとはアジャスターで変速がカチッと決まるように調整するだけ。
はい、難易度としては5段階中2くらい。所要時間は30分もあればできる。
 
ごはん
もやしとたまねぎの炒め物
ほうれん草のおひたし
コロッケ
 
国立国会図書館に行ってきた。国会議事堂の北側にある。

これは建物の中。ひょっとしたら撮影禁止かもしれんが。いや、たぶん禁止だろう。もうしません。あとIDカードをトイレに置き忘れてすみません。
利用の手引きを書いておく。
1.かばんはロッカーにしまう。100円が必要だけど、帰るときに戻ってくる。
2.入り口付近のコンピュータでIDカード発行の手続きをする。名前や住所や電話番号を入力し終わったらカードが出てくる。
3.カードをSUICAICOCAのようにゲートの読み取り部に当てるとゲートが開く。
4.閲覧したい本をOPACで検索する。見つけたら「確定」かなんかをする。そうすると係りの人が本をカウンターまでとってきてくれるのだ。自分で書架に行くことはできない。ラウンジなどにあるモニタに自分のIDカードの番号が表示されるまで待たなきゃいけない。
5.本を受け取って閲覧室で読む。たぶん外部への持ち出し(貸し出し)はできないと思う。
6.読み終わったらカウンターに返却する。
というようにちょっと面倒なシステムなのだけど、これくらいちゃんと管理してあれば信頼性があってそんなに悪くないなと思う。でも書架には立ち入りできないので、何を読むかある程度決めていかないと無駄足になる。
実は日本国内で刊行された本は、すべて国会図書館に納本するという決まりがある。だから1冊も売れなかったような駄本で、発売と同時に絶版になったようなシロモノでもこの世から跡形もなく消え去るわけではなくて、少なくとも国会図書館には大切に保管されるというわけだ。であるからして、読みたい本があるのに絶版になっちゃってるよー、という人は国会図書館に行くべしなのだ。なつかしのAV女優の御姿をもう一度!っていきりたつ人も行くべしなのだ。エロ本も納本されるんだろうし(たぶん)。
今日私が立ち寄ったのも絶版の本を読みに行くためなのだ。川崎徹の「無意味講座」という本で、アマゾンで品切れ表示すらされない状態である。マドラ出版といって、あの広告批評という雑誌を出しているところだ。
さてこの本は大学時代にウィトゲンシュタインに傾倒していたころ(今でも大好きだが)に読んで以来である。文字が大きくてしかも80ページ程度しかないので小学生にでも読める。にもかかわらず、内容はかなり深いところを突いてくるというなかなかすばらしい本なのだ。
無意味というのは意味の世界の助けを借りてはじめて見えるようになるとか、私はけっこう好きなんだけどどうですか。
本書の例を出すと、たとえばバッティングセンターは今の世の中では意味のあるものだからみんな違和感を感じないけれど、スモウセンターというものは今の世の中にはない。が、バッティングセンターの延長として(ひとつのバリエーションとして)スモウセンターができたら、それがおもしろいかどうかはともかく、みんな一応は理解できる。つまりスモウセンターは、バッティングセンターという意味のあるものの助けを借りることによって意味を持つのだ。だけどもしバッティングセンターがない世界でスモウセンターが先にできたら、そんなものはたぶん誰にも受け入れられないだろう。なぜかというと、みんな「その意味がわからない」からだ。つまり物事が存在する順序や視点が変わるだけで、意味のあるものが無意味になりうるし、無意味のものが意味を持ちうる、というわけ。
そのほかにも、懲役の先払い制の話があった。殺人の懲役が15年なら、殺人を犯す前のひまなときに15年ほど刑務所に入っておけば、出所したあとに殺人してもオッケーっていう奇想天外な発想。あいつは先払いを15年済ませているから何をしでかすかわからないぞ!とか。すげー。
この無意味講座というのは広告に関する講座らしいので、最後に特別補講として「広告の作り方」を講義する章がついていた。これもかなりおもしろいです。
しかしこの本が絶版になったということは、無意味について考えること自体の意味を、多くの人がわからなかったからだろうな。それはちょっと悲しいことではある。まあ、わかったところで意味はないと思うけど。
 
ごはん
もやしとたまねぎの炒め物
かぼちゃの煮物
こうや豆腐