heppoco2005-12-16

ごはん
みそ汁
 
ドーナツが食べたいなあ。そうだ、献血にいこう!
というわけで献血に行ってきた。渋谷の献血ルームにはドーナツがおいてある。「お一人様2つまで」という制限があるが、これは4つまでは許容範囲だと見ていい。暗黙のルールではそういうことになっている。4つも食べたら一食ぶん節約できてしまうぞ。
でもいって見たら全部食べつくされていた。みんな食い意地張ってるなあ。2つしか食べちゃいけないと書いてあるのに!
クッキーなんかは山積みされてあったが、別にいらんと思ってココアを飲んで帰ってきた。
 
献血をするのは得なのだろうか。
損得の問題ではないかもしれないが、やっぱりちょっと考えてしまう。血は人工的に作れないものだから、お金で買えないものである。それを提供しているというのは、まさに、愛を提供していると言えるかもしれん。愛をドーナツやココアで買収されいると思うと・・・なんかおかしいような気がしてくる。どうせならドーナツなんかよりも鉄分たっぷりのレバニラ炒めとかひじきを配給したほうがいいのでは。そういう問題ではないのかな。
ドーナツがタダで食べられるというだけで献血に来る私のような人がいる。たぶん多くの人もそうだ。なら健全な需給マッチで無問題のような気もしてくる。それどころか、ドーナツもらってラッキーてなもんである。なぜだろう。
血液は目に見えないものだからかもしれない。400mlも血をとられたあとでも、渋谷から上野まで平気な顔をして自転車で帰ってこれる。血を採られたという実感がないのだ。献血の椅子の横には採られた血をためる袋があるが、意図的に見ようとしない限りは見えなくなっている。今日はちらりと見てみたのだけど、400mlというのはけっこうすごいぞ。あれだけの血を採られてなんともないのが不思議に思えてくるくらいだ。もし献血のおねいさんが「こんなに採れました!」と言ってその袋を見せなきゃいけない規則があったら、たぶんドーナツといっしょにレバニラ炒めも配給されることになるだろう。
でも、今のところはどれだけ採られたのかも実感がないし、献血のあとでもふつうにしていられるからドーナツで問題ないのだ。却ってうれしい。ある意味だまされていると言えなくもない。まあ実感がないのだから、それほどお礼もしなくてもいいとも言える。
 
献血で思いついたが、たとえば髪の毛を提供する「献毛」というものがあったらどうだろう。髪の毛がたくさんある人が、薄毛の人に髪の毛を提供するというもの。健康な毛根の持ち主なら1000本くらい抜いてもすぐに生えてくるので、提供者側にもまったく問題ない。献血とにたようなシステムだと言える。
今のところ、カツラのメーカーは人工的に髪の毛を作っているが、そのコストを抑えられることになる。そればかりか、人工毛よりもナチュラルな髪の毛になるぞ。髪質は人それぞれではあるが、それも血液と同じでタイプ別に提供者を分別すればいい。ひょっとしたらいけるんではないか。提供者にはドーナツとわかめを無料で配給する。
髪の毛でなくてもいい。いわゆる「ムダ毛」でもオッケーである。若干ちぢれてはいるが、くせ毛のお客様ならむしろその方がいい。エステサロンとカツラメーカーでタイアップすれば新たなビジネスモデルが実現するぞ。
さらに、年金ならぬ「年毛」でもいい。若年層が高齢者の薄毛を支援するというシステム。さらにさらに、退職金ならぬ「退職毛」。わかいうちに髪の毛を少しずつ積み立てておいて、退職時の毛が薄くなってきたときにドーンと自分の髪の毛が帰ってくる。すげー。うれしいかどうかはともかく、すげー。
 
カレーパン
あんぱん
 
所有しているCDは何枚なのか把握していないが、とにかく棚に入りきらなくなったので整理していた。そのついでに、しばらく聞いていなかったCDを聞いていたのである。
普段聞くときはなるべく均等なローテーションを心がけているつもりなんだけど、実は購入以来ほとんど聞いていないものもたくさんある。それらはあまり気に入らなかったからこそほとんど聞いていないわけだが、改めて聞いて見ると、どうしようもない曲というのはほとんどないことに気づいた。
特に気に入ったものはMP3にした。しばらくはこれを聞いていよう。コンピュータでランダム再生すると、聴きなれた曲でもぜんぜん違う印象になるのが楽しい。ついでにネットラジオでもはじめようかしら。
 
ごはん
みそ汁
ひじきと油揚げの煮付け