ごはん
みそ汁
 
バイク屋の前で「セニアカー○○万円」といって電動車椅子が売られているのを見た。業界ではシニアのことをセニアというのだなあ。
ところでどうして電動車椅子なんてものがあるのだろう。手動の車椅子でいいじゃないか。たぶん老人もそんなのに乗るのはいやだろうし(私のじいちゃんばあちゃんみんなが「あれには乗らん」と言っていた)、電動なんかにしちゃうと足腰ばかりか手まで弱ってしまうぞ。
やむを得ず歩けなくなった人ならともかく、車椅子に乗る老人の多くは、足腰を鍛えることを怠った結果ああなっているのだから、そんな人間をいたわる必要ないと思う。
 
ごはん
玉子焼き
 
少子化に伴って公立学校の合併が進んでいる。私が通っていた奈良の片桐高校という学校が斑鳩(いかるが)高校と合併して、法隆寺国際高校と名前を改めたようだ。偏差値は45か。相変わらずだなあ。
 
ごはん
みそ汁
 
個人のウェブログたいていつまらない。なぜつまらないのか。その原因は、ウェブログを書く人の目的と、インターネットを見て回る人の目的との齟齬にあるとおもう。
個人がウェブログを書く目的は自己顕示することにあるだろう。従来ならノートにペンを走らせて書いていたところの日記を、みんなに見てもらいたいということで公開するわけだ。でも結果として量産されるのは見るに耐えない内輪ネタ。「今日はドライブに行ったのだけど桜子が車酔いで・・・」のような内容に誰が興味を持つかね。
こういったウェブログを書く人は、そのウェブログを見ている人がその日だけではなく過去の分まで読んでいて、桜子が何者なのかもちゃんと理解している、という前提をしているのだろう。実際、そういうウェブログでも意外とアクセス数は多かったりするから、そう思うのも無理はないと思う。でもそれはたぶん錯覚だよ。ミーハーな単語を多用しているがために検索で引っかかることが多いだけだ。アクセス数がぐんぐん伸びる裏側で、そのウェブログにたどり着いた人は桜子ネタに辟易してすぐにウィンドウを閉じているぞ。
百人百様の嗜好があるとはいえ、誰かの自己顕示や内輪ネタを見たいと思ってインターネットを使う人なんてほとんどいないでしょう。内輪ネタのウェブログを書いている人でさえ、普段インターネットを使っているときに他人の内輪ネタに遭遇したらうんざりするはずだ。だから日記をはじめから最後まで読んでいる人なんて、開設者以外に誰もいないと思ってほぼ間違いない。99歩くらい譲って、内輪の人だけを対象にしたウェブログでも大いに結構としても、公開する以上は他人でも傾聴に値する内容にしてほしい。もしくは笑えるものに。
自分がインターネットを利用しているときに「やだな」「つまらないな」と思ったら、自分のウェブログもそうならないようにしようよ、と言いたい。つまり読む人と書く人の目的の齟齬をなくしていきましょうよ、と。
間違いを恐れるせいか、当たり障りのない内容のウェブログもたくさんあるけれど、やっぱりそれもつまらない。間違いを恐れてはいけない。せっかくの自己顕示のツールなのだから、大いに間違いを顕示してほしいと思う。学校の先生みたいなことを言うようだけど、間違いというのはとても価値あることだ。正しい議論が必ずしも傾聴に値すわけではないし、間違っていても傾聴に値する議論はたくさんあるはず。
さらにはばかりながらひとつ付け加えたいのは、最低限その日の日記だけで完結した内容にしてほしいということ。インターネットは断片的な使われ方をするからだ。他人のインターネットの使い方なんてあまり知らないけれど、たぶん検索をして必要な情報があれば、それを読んですぐにウィンドウを閉じるでしょう。つまりウェブログを見る人の興味は「そのウェブログ」にあるのではなくて、「検索語」にしかないと言いたい。過去にさかのぼらないと意味がわからないウェブログは読んでいて苦痛だ。読んで苦痛なウェブログは読まれない。せっかく自己顕示しているのに。
(ちなみに長いウェブログも読んでいて苦痛である。私のウェブログはとても長い。嗚呼)
みんなのウェブログがもっと面白くなればいいなと思う。