松屋の牛丼
みそ汁
 
壊れたデジタルカメラSONYDSC-P32)を分解した。CCDがおかしくなったらしくて、まったく写らなくなったのである。いつか分解してやろうと思ってとっておいた。
 

こいつを分解する。
 

30分くらいでここまで分解できた。しかも非破壊である。私は子供のころから分解するのが好きだったが、分解の醍醐味は非破壊(折ったり曲げたりせず)でどこまでバラバラにできるか、というところにある。このデジタルカメラのように、非破壊でここまで分解できるのは私の経験上めずらしい。
子供のころより手先が器用になったせいもあるかもしれないが、デジタルカメラの作りがいいのだろう。修理するときに、壊れた部品だけを交換できるように作られているのがよくわかる。
この小さな箱の中に、合理的に組み上げられた部品がみっしり詰まっているのは感動的だ。実はもっと空っぽではないかと思っていたのだ。
 

これはCCD。SONY製だった。はじめて実物をみた。こんなに小さいのか。
ちなみにプロセッサもSONY製だった。
 

レンズはちゃちである。3枚構成らしい。
 

液晶はCASIO製。
 
ごはん
納豆
生卵
 

海馬/脳は疲れない ほぼ日ブックス

海馬/脳は疲れない ほぼ日ブックス

退屈な本だった。半分ちょい読んでやめた。
頭のよさについて語っている本である。頭がいいとはどういうことか、頭がよくなるにはどうすればいいか、脳の海馬とはどんなものか、ということが対談形式で展開されてゆく。
うーん、何が退屈だったんだろう。糸井重里が退屈だったのかもしれない。
ちょっと混乱してしまったのは、脳の記憶の仕方として紹介されていた「可塑性」の話だ。可塑性というのは粘土のように一度変形したらその形をとどめている性質のことを言うそうだ。たとえばヘビが怖いものだと一度覚えてしまったら、ヘビを見るたびに怖いと思ってしまうのが可塑性である、と。
それって、脳の記憶の仕方というよりは記憶とまったくイコールじゃないか。実際、可塑性とはつまり「記憶できること」なんです。と言っている。なんか、変だな。何が変なんだろう。つまり記憶はすべて可塑性である、ということを言いたいのだろうか。でも、んー、可塑性そのものが記憶だろう。可塑性をもたない記憶はありえないのであって、非可塑性なら記憶とはいえない。当たり前すぎて混乱する。
なんだか「赤とは、赤い色のことです」と説明を受けたときのような、もどかしい感じがする。
このもどかしさで思い出したが、はてなにある「トートロジー」のキーワードはナイスなジョークである。
 
チャルメラとんこつ味に野菜をのせたもの
 
夜はずっと絵を描いていた。
この世にありそうにない形のものを描きたいと思った。どう描けばいいか。
描いているうちにだんだんコツがわかってきた。いろいろあるが、基本は無重力をイメージすればいいのである。無重力。ちょっと電波を感じるかもしれないがまじめに言っている。
この世にあるもので人為的に作られたもの以外は、すべて重力をイメージさせるものの集合である。植物も動物も山も海もそうだ。すべて下に向かって安定した形を持っている。だから無重力をイメージして描くことによって、この世にありそうにない形のものを描くことができる。「これはどう置いても自立しそうにないぞ」というものを。
齋藤彩さんの絵はどれも自立しそうにないものであふれている。
たくさん描いたのでスキャンして載せてもいいのだけど、ちょっと恥ずかしいのでまたいずれ。