heppoco2005-10-05

炊き込みごはん
納豆
みそ汁
ヨーグルト
 
会社のなんたら賞を私が受賞できたそうである。いいのかなあ、本当に。やめた人間に賞をあげても意味ないじゃん。現役の人にあげてモチベーションをアップさせることがそもそも賞の目的なんじゃないのか?知らないけど。
 
「せめてお名前を!」
「セザーール」
 
ともあれ、そんな感じで去っていく私ってちょっとかっこいいんじゃない。そうでもないか。
あの仕事は私ひとりでやったので、あのとき私がどんな仕事をしたのかを知っている人は、実は会社にほとんどいないのである。報告は社外の人にしかしていなくて、内部では引継ぎをしていない。それでいったいどんな評価がされたんだろうか。
あの会社については悪いところばかり目に付くが、さらにひとつ付け加えると上司が部下を管理できていないのだ。具体的には報告という文化がない。じゃあ上司は部下の管理もせずに何をしているかっていうと、それぞれ自分の仕事をもっていて忙しいみたいだ。お金の計算をしたり資料を作ったり。課長クラスの人でも毎日0時を過ぎても残っていたりする。
私はなぜか報告するのが好きだから、しろといわれていなくても毎日メールで(メールだと形に残るので)報告するようにしていた。「今日はこれをこういうふうにやって、これはできていませんがこういうふうにやろうとおもいます。でももう定時だから今日はかえりますさいならー」というような。でも、そういう報告をしても上司からはなんの反応もなくてつまらないから、いつの間にかやめてしまっていた。だめじゃん。
私もだめだが、上司もだめである。私は報告することによって指示を受けたりほめられたりするのを楽しみにしていたのだが、そんなのは一切なし。せっかく報告しているのになぜだと思ったら、上司は報告メールを読んでいなかったのである。自分の仕事がたくさんありすぎて、部下にかまっていられないらしいです。あーホント終わってるなあ。あの会社。
人が足りないというレベルじゃない。それ以前に報告の文化がないからノウハウの共有がまったくできていないのだ。だから事あるごとにどんづまりになるし、なおかつ相談すべき上司も忙しくてかまってくれないから「仕事のプライベート化」に拍車がかかり、ようやく解決できてもノウハウを伝えるべき対象がいなくて、その場限りの仕事になってしまう。はあ。
で、賞をもらったので賞金をいただけるのだ!いくらかは知らない。ただし個人で使っていいものではない。会社の飲み会などで使わねばならない。ということは私は飲み会に招待される形に・・・いやだー。
 
国立科学博物館のカラスと人間を見てきた。すでにカラス本を2冊読んだ身としても、新しい知識を得られるところがあってよかった。中でもカラスの巣が予想外に大きくてビックリ。
ところで鳥類の巣を見るたびに思うのだが、人間が真似をして同じように作ることはできるのだろうか。鳥類の巣はどれも美しくて、なかなか作れそうにないと思う。
あとカラスの鳴き声の種別を聞くことができるコーナーもあった。普段よくきくカラスの「アー、アー」という鳴き声は、ねぐらに帰るときのものである。がんばって覚えようとしたのだけどそれしか覚えられなかった。「ワッ、ワッ」という鳴き声は怒っているときだったか。感情の激しさに応じて鳴き声が短くなってくるのだとおもう。
この特別展は、やっている場所がよくないせいか、人が少なかった。たまにこどもが来てもほぼ素通り。ちゃんとみていたのはスーツ姿のおっさん数人だった。カラス対策の仕事でもしてるんだろうか。
 
たまごダブルマックセット
 
HOLGAトイカメラが恵比寿の東京写真美術館に売ってあるというので、見てきた。機器としては完全なる駄作であるにもかかわらず、駄作ゆえに味わい深い描写をし、愛好家は多いそうである。触ってみたらほんとにおもちゃだった。よくあれで写るもんだ。にゃーにゃーHOLGAは4000円。うーん、たしかにいいけど、いちどデジタルカメラを知ってしまうとフィルムは面倒だなあ。
 
アメ横で2000円のジャージを買う。
 
チャルメラとんこつ味に野菜をのっけたもの
 
そういえば国勢調査の調査票が届いていないぞ。UFJカードは退会したはずなのに相変わらずダイレクトメールが届くぞ。立命館大学から校友会の会報が届くけど、私って校友会の会員なんですか。最後の給与明細が届いたけど8月の給与がなぜか5万。わからないことがおおいなあ。
 

怪獣の名はなぜガギグゲゴなのか (新潮新書)

怪獣の名はなぜガギグゲゴなのか (新潮新書)

読めば読むほど腹が立ってくるので2章までしか読まなかった。
自動車のネーミングで、K音のCが効果的といっておきながら、「コロナ、カムリ、コルベット、カマロ、シビックなどなど」と、突然シビックがでてくる。
同じく自動車のネーミングでK音は硬さやスピード感のイメージがあるから車名にふさわしくて、Cという丸っこい表記と併せて使うことによって「硬い曲面や速い回転のイメージを引き出せる」という。でも発音のことを言いたいはずなのになんでいきなり表記の話になるの?
しかも「音はS音ながらも、流線型のイメージを文字Cに託した車名も含むなら、セドリック、セフィーロシトロエン、シボレーなども挙げられる」と、わざわざ例外のS音まで併記しちゃってるからK音の解説がまったく生きてこない。
「日本の赤ん坊は、『まんま』とか『ぱいぱい』のような、空腹や不快、不安を解消してもらうための語を先に覚え」るとあるが、それは赤ちゃんが「まんま」や「ぱいぱい」などの語を発音しやすいから便宜的に教えられる言葉なだけである。赤ん坊は「覚える」というよりは、それらの単語を「発音することができる」だけであって、「ごはん」「めし」とか「乳首」「母乳」などとは発音できない(またはしにくい)のである。言葉を覚えたての赤ん坊がそんな単語をペラペラしゃべったら気持ち悪いよ。
筆者の息子が「三歳のころに初めて描いた『ママ』には乳房と腕・手と太ももしかなく、認識論を扱う母親は、深く感心してしまった」とあるが、この事例は認識論とはぜんぜん別の話だ。
さらに文中で「サブリミナル」という用語がよく出てくるが、間違った意味とまでは言えないにしても、通常の意味合いとは違った使われ方をしている。それにかこつけて「私の研究以前に、ことばの音のサブリミナル効果についての科学的客観的研究は存在しなかった」と豪語するのはいかがなものか。著者はことばの「印象」を「サブリミナル」という用語に無理やり置き換えているだけじゃん。それに、同じような研究は音相システム研究所ってところが90年代からすでに始めているよ。
と、このペースで突っ込んでいるときりがないし、なにはともあれ私は2章までしか読んでいないので、続きはアマゾンのおもしろおかしい酷評をご覧いただきたい。
言葉の意味ではなく、音声に主眼を絞ったという意味では優れた着眼点だといえるかもしれないけれど、あまりにもひとりよがりな内容に堕してしまっているのは見るも無残。ツッコミ練習帳としてどうぞ。