LD・ADHDは病気なのか? (講談社+α新書)

LD・ADHDは病気なのか? (講談社+α新書)

この本は、LDやADHDという最近ちょくちょく耳にするようになった精神症状について、一般の人たちに正当に理解されることを目的とした意欲的な本である。
LDやADHDはもちろんのこと、各種の症状について基本的な用語の解説もたくさんあってよろしい。基本的な用語っていうのは、ほんとに基本的な用語である。「知能とは何か」というところから解説してあって、勉強になる。
しかも、ただ医学的な用法を並べるだけではなく、筆者自身による定義もちゃんと示してあるのだ。たとえば、上の「知能」の定義にはさまざまなものがあって、どれかひとつが正しいわけではない、と述べた後に「筆者なりにいえば、『知能とは、新しい環境に自分をうまく順応させる能力』ということになります。」と言ってくれているのである。これは大変ありがたいことで、こうした筆者なりの定義があると読む人にとって非常にわかりやすい。あえて独自の定義を掲げるということは、筆者がそこで何を言おうとしているのかが想像できるからである。わかりにくい本だと、さまざまな意見を紹介するだけで「で、アンタはどうおもってるんすか?」というところが抜けていたりする。もちろん諸説を紹介することだけを目的としているのなら、いいんだが・・・。
本書は、子供を取り巻く教育論が大部分を占めている。LDであると診断された子供を、安易に特別学級に放り込んだり差別的に扱ったりすることが多いからだろう。
子供の人格形成も教育ととらえるなら、発達過程にある子供に見られる各種の症状を、異常とみなすか個性とみなすか、その基準が問題となってきそうである。安易な診断を下すと子供にも親にも悪影響が出るかもしれないからなあ。筆者はどこかで「子供や親や周りの人がが困っていることがLDの診断基準になりうる」というようなことを書いていたが、それくらい微妙なものなんだなと思った。
あと、小児科医を窮乏に導く悪魔のサイクルについても随所で触れられている。この類のサイクルは私自身、仕事で経験してきたのと似ているところがあったのでちょっと同情してしまった。
アメリカでは精神病が一般的に受け入れられているが、ひるがえって日本を見てみると・・・だめだこりゃ。の状況も書かれているが、ちゃんとアメリカの問題点にも触れられているところがおもしろい。
しかしLDとADHDってけっきょく何なんだかいまいちわからなかった。うーん、はじめのほうを読み返してみると
 
高名な学者でも「なかなか一言では説明できない」といいますが、筆者流にくだいていえば、「いわゆる知恵遅れではないのに、読み・書き・そろばんのうちのどれかの技にひどい遅れがあり、それで本人も周りも困る状態」ということになります。
 
と、やっぱり筆者流にくだいて説明してくれていた。まあ定義は難しいってことですな。なかなかの良書だと思ったがどうか。医療関係の知識は皆無なので、内容としてどの程度信頼できるのかは、わかりまへん。
 
鶏とごぼうの炊き込みごはん
肉じゃが
 
池之端にある旧岩崎庭園に行った。小さな敷地で、入るのに400円もとられるのに中身はどうってことない。「ここから先は立入禁止」という札がとても多かった・・・
お金払ってるのに「禁止」ってのはなあ、私なら「ご遠慮ください」くらいの表現にするよ。
一方、ジブリ美術館のように「思い出は写真にして持ち帰るのではなくて、頭の中に残すべきだと思います」みたいな遠まわしすぎる撮影禁止の注意も、罪を内面化させられるようで腹が立つ。たぶんニーチェも怒るだろう。
 
くっすん大黒 (文春文庫)

くっすん大黒 (文春文庫)

町田康はパンク。という図式が嫌だったので読まなかったが、不覚にもかなりおもしろいと思った。ぜんぜんパンクじゃないぞ。
働かなくてぶっさいくで、どうしようもない主人公のおっさんが持っているくだらない美意識が妙にほほえましい。
 
鶏とごぼうの炊き込みごはん
ひじきと油揚げの煮付け
サンマ
 
「好物は何?」
「うーん、しょうゆかな」
「調味料じゃん」
 
しょうゆが好きなのだ。塩分が好きともいえるかもしれないが、塩自体はそんなに好きじゃない。しょうゆっぽいものがいい。料理には「すき焼きのたれ」を常用しているし、今日なんて炊き込みごはんにもしょうゆ入ってて、ひじきにもしょうゆをタポタポいれてて、サンマにはポン酢をダバダバかけてる。塩分超過だろうなあ。