今でもそうかもしれないが、数年前に「論理的思考」という言葉が流行したことがあった。たぶん「脳トレ」と同じような時期だったと思う。本屋に行くとその類の本がいっぱい並んでいていた。頭がよくなりたいという欲求は多くの人が持っているってことなんだろう。
私はその類の本を読んだことが無いのでわからないけど、論理的思考能力というのは案外、(おそらくその類の本に書かれているような)純粋な論理トレーニングをするだけでは身につかない。論理そのものの研究をするのではない限り、純粋な論理トレーニングはやってもあまり意味が無いのだ。じゃあ必要なのは何かというと、具体的な経験を積むことでしかないと思う。
こういう問題を考えてみよう。

問題1
アルコール飲料は20歳未満の人に販売してはいけないことになっている。下の4枚のカードの片面には、購入者の年齢が書いてあり、その裏側にはその年齢の人の購入商品が書いてある。不正な販売が行われていないことを調べるには、少なくともどのカードを裏返さなければならないか。
 
 【16歳】 【コーラ】 【ウィスキー】 【22歳】
 

答えが1つじゃない点でちょっといじわるな問題であるにもかかわらず、ほとんど何の迷いも無く正解できるだろう。答えは[16歳]と[ウィスキー]だ。じゃあ次の問題はどうか。
 

問題2
植物が書かれたカードの裏には、必ず動物が書かれている。このことが正しいことを確認するには、下の3枚のカードのうち少なくともどれを裏返さなければならないか。
 
 【猿】 【坂】 【桜】
 

選択肢は減ったがこの問題は上よりもかなり難しい。正解は[坂]と[桜]だ。([猿]の裏は植物でなくてもかまないが、[坂]の裏は植物だとダメ)
これがなぜ難しいかと言うと、この問題のほうが純粋な論理に近いからだ。であるにもかかわらず、同じ形式のはじめの問題は、ただ具体的であるだけの理由でとても簡単になる。
なぜだろう。20歳未満の人はアルコール飲料買ってはいけない、ということは日常的に考えることが多いから、私たちはその問題に慣れているからだろう。また、具体的な経験に照らし合わせて考えることができるという理由もあるだろう。
人間は純粋な論理的思考はかなり苦手だ。でも、そうだからといってすべての論理的思考が苦手なわけではない。具体的な論理的思考であれば、かなり得意になる。
何を言いたいかというと、頭がよくなりたくて論理的思考能力をつけたいなあと思ったときに何をやるべきかというと、要はアルコール飲料の場合のように、問題を特定の事例に照らし合わせて考えられるように多くの経験を積むしかないんだ、と言いたい。たとえば仕事で接するような問題をたくさん考えて思考のパターンを蓄積していけばいい。そうすることでアルコール飲料の問題を簡単に解けたように、仕事で「論理的思考」ができるようになるのだ。逆に、本を買って純粋な論理問題をいっぱい解いてトレーニングしても・・・それに何の意味があるんだろうか?それが実際の論理的問題に反映できるかどうかは、かなり疑わしいと私は思う。知識が無ければ論理は応用できない(そして応用できない論理なんて必要ない)し、そもそも論理的思考能力自体を強化することは、たぶんできない。もちろん個人差はあるだろうけど、人間は誰もが純粋な論理が不得意だからだ。
何もしなくても頭がいい人って、確かにいるんだけど、そういうふうになりたいという望みはもう捨ててしまおう。我々凡人は知識と経験で勝負すべし、なのだ。