車のクラクションが正しい使われ方をしていることってほとんどない。クラクションのおかげで命拾いをした人よりも、鳴らされたおかげで明確な殺意を抱く人のほうが圧倒的に多いはずだ。
今日の帰り道。前が赤信号で渋滞しているのに、意味もなくクラクションを鳴らしながら無理やり前に割り込んできた上、あからさまに進路妨害をしてきた車があった。私はこういう組み合わせの嫌がらせを、COMBOと呼んでいる。
寛大な私はクラクションだけなら何もしないが、COMBOされたお仕置きにサイドミラーをへし折ってきた。あとツバもはきつけて「あのドライバーが誰にも迷惑をかけずに死にますように」とお祈りもしておいたが、中指を立てるのは忘れてた。
車がやったことも私がやったこともたぶん犯罪だから真似してはいけないが、サイドミラーはすぐ元通りになるし、ツバも水ですぐに流れるから害は少ないよ。お祈りや中指も気持ちの問題だしね。
ラクションの何があれほど罪深いかというと、卑怯だからだ。邪魔なら窓を開けて大声で「邪魔だ!」といえばいいと思うんだが、それができないほどの肝っ玉で、鈍重な鉄の箱の威厳を借りてビーっと醜悪な音をとどろかせるのだ。