人間のための街路

人間のための街路

ルドフスキーの本5冊目くらいか。衣服、建築、日本文化なんかを題材にして文明批評を展開している人だが、この本では街路がテーマになっている。橋、路地、路上カフェ、階段、ひいては街や道路の名称までもが考察の対象になっている。
個人的には階段を讃えているところに激しく同意。私は階段を見ると軽く興奮するんだが、そんな人って他にいるだろうか。「階段大好きー!」とはだれも口に出さないだけかもしれないが、でも、エスカレーターで立ち止まる人の行列を見ているとたぶんみんな嫌いなんだと思う。
基本的に現代の人は、道なんて通れればそれでいいんだと考えている。でもそれはルドフスキーに言わせれば美意識の欠如でしかないのだ。景観は二の次でほんとにいいのか。機能性よりも景観的なものを優先させるべきではないか、と(道路は街の面積にするとかなりの部分を占めているのだし)。もはやそういう疑問をもつことすら忘れ去られている。
だけど、それを嘆いたところで何の意味があるの?とも思う。街は人々の美的要求を満たすためだけにあるものではなく、生活の基盤としてあるものだからだ。アスファルトをはがして未舗装にしたり石畳にして自動車を完全にしめだしたら、それも有る意味では生活を豊かにする手立てとはいえるかもしれない。でも、たとえば火災がおきた場合なんかには手の施しようがなくなってしまう。機能を犠牲にして景観をよくしたところで、それによるメリットは何かあるのかという話だ。この点にルドフスキーはたぶん反論できない。どの本にも言えるんだけど、彼の弱いところはそこだと思う。強烈に共感はできるのに、納得はできないというか。彼の本がもうあまり売られていない(売れていない)のもそのあたりに理由があると思う。