給料をもらうたびに思う。会社はへっぽこという人を買って、働かせているわけだけど、よくこんな高額な支払をする気になるもんだ。
会社ではなく、個人が個人を雇うなら(おつかいとか)、きっとへっぽこなんて一人も売れやしないと思う。私は、私自身がもらっている分の給料を払って、私の労働力を買いたいと思うかという話。
これは私の給料がよいという話ではなくて、人件費一般についての疑問だ(私の給料は標準範囲とおもう)。私が仮に時給2,500円で人を雇うとしたら、どんなに過酷な労働をさせれば元がとれるのかちょっと思いつかない。日常生活ではまずありえないくらいの過酷なおつかいをさせねばならない。そもそも時給2,500円も払うくらいなら自分でやるよと思ってしまう(しかし自分でできないからこそ、それを支払うのではあるだろうけど)。
にもかかわらず、会社という組織はえげつない出費をして人を雇うのだ。働き始めてもう4年になるが、会社の仕組みって特にお金についてわからないことが多い。へっぽこの日々の仕事は、儲けを出すためにどれくらい寄与しているのか。あまりに分業化されすぎていてそれを実感するのが困難になっている。できるだけそういう儲けの寄与度を意識しながら仕事をしてはいるけれど、どんな大変なときでも毎月の給料分ほど働いたような気がしない。まったくとんでもない額のお金をもらっていると思う。
もちろん、こんなのはアホな疑問だということはわかっている。どれだけ儲けに寄与したか実感がなくても、会社でみんなが集まってひとつの大きなことをやっているわけだから、それで出た儲けを山分けしているだけだ。私の会社が生み出したものを別の会社が利用して何かを作って、消費者がそれに対してお金を出している。それでぐるぐる回っている。
つまりどこかの消費者が2,500円で物を買ったとしたら、それは何であれ、2,500円分の他の誰かの手間暇と技術を買っているのと同じなのだ。それゆえに、私が2,500円分も働いた気がしなくても、私の労働によって生産されたものを誰かが買うのなら、案ずることはない、私は2,500円分を働ききったということなのだ。