夢の話ですまん。こんな夢をみた。私は一人で奈良の三条通りを歩いていた。
どこか薄暗い店に入ろうとしたときにふと足元を見ると、水辺に佇むかえるの置物があった。何か黒い石で出来ているが、今にも動き出しそうな、精巧なかえるの置物である。ふーんと思ってそのまま店に入ろうとすると、そのかえるの置物が、水辺の水を口ですくい、さっと私の足元をぬらそうとした。今にも動き出しそうなかえるが、やっぱり動いた。私は驚いてとっさに水をかわした。どうやらかえるにセンサーがついていて人が店に入ろうとするのを検知すると動くように仕掛けられているらしい。なぜ店の前にそんな嫌なものを?
私は動き出しそうにないものが動き出したことを面白く思って何度もセンサーに検知させて水をかわすのを楽しんでいた。でもふつうの客は嫌がるではないか。せっかく入ろうとしているのに、入りたくなくなるではないか。と思った。そこでいったん目が覚めた。
なぜ私は、私の頭の中で構築されたかえるの置物に驚いたのだろう。それが動くような仕掛けを作り出したのは、自分の頭の中でである。自分で考えたことに対して驚くというのはいかにも変人ではないか。そしてそれをおもしろがることも。日常ではあまりありそうにないことだ。
 
それはさておき、ビートたけしの番組で今にも動き出しそうなブロンズの銅像が、近づく人を驚かせるという企画があった。
動き出しそうなものは、まさに「動き出しそうである」こと自体がおもしろいのであって、実際に動き出すことを人は期待してはいないのだなあと思った。