私はサラリーマンがどうあるべきかということについて悩んでいるのではない。
私が悩んでいるのだとすれば、私がどうあるべきかということを問いつつ、その問いとサラリーマンのあるべき姿とをどう折り合いをつけて自分を納得させていくか、ということについて悩んでいる。それしかない。今までは、できる限り、その折り合いをつけようと努力してきた。

サラリーマンとしての私に、何らかの問いを投げかけられはしたものの、その問いの真意を理解しながら無視を勤めてきた。そしてそれが都合のいいように解釈されてきた。どういうわけかその無視が、私をこの会社の一サラリーマンとして位置付けるためのもっともらしい理由として解釈されてきた。これ、どういう意味かわかるだろうか。私にはわからない。何なんだろう?一体。何がなんだかわからない。

私は何が不満なのか?
難しいことは考えたくない。

私とその他の人が発する一言一言の含蓄によって意図を伝えることで仕事は回っていくのだろうか。そうだとすれば、その仕事のスタイルは私には合わなかった言うしかない。合わないというか理解できなかった。難しい。私は何が不満なのか、その答えを出す事が難しい。もう限界が近づいてきた気がする。

もうたくさんだ。いちいち含蓄を穿ちながら人の顔色を伺い、行動していくことを私に求められるのなら、そのスタイルは私には合わなかった、と言うしかない。

何なんだろう。含蓄と解釈によって回っていくこの状況は・・・それが文化というものなのか。なぜ、もっと明確にできないのか・・・あるいは自らの発言の中で明言することができなかった「真の意味」を逐一解釈することが求められているのか、解釈ができなければ勘の鈍いやつとでも言うのか・・・

明日(日付は今日)からしばらく行方をくらまそうと思う。しばらくというのはどのくらいの期間になるのかわからない。半日か、1日か、2日かもしれない。1週間か、1ヶ月かもしれない。いずれにしろ、その期間に私がしようと思っているのは、いかにして逃げるかということだけだ。
それを卑怯だとか言うのなら、思う存分言うがいい。社会人失格だなんて私にとってなんの罵倒にもならないのだし、効力も発揮しない。いわばだめもとでこの会社の一員になってしまったのだから。
人格が欠落している。そう思うのならそういえばいい。そこに含蓄は必要ない。きっぱりとそう言うがいい。ずるずると続くよりもすぱっと終わらせる事ができれば、お互いどんなにすっきりするだろう。

私の知る限り、ここには相談できる人もいないし、ぶちまけられる人もいない。いや、「いない」ことが不満というよりも、相談したりぶちまけたりしても、必ず誤解されて丸め込まれるこの環境が嫌で嫌で、しょうがないのだ。