昨日の話しだけれど。
ジュンク堂で絵本を立ち読みしていた。
知っている人は知っている、ペネロペシリーズを読んでいたのであるな。
私ははじめて読んだのだが、とてもいいかんじである。ちゃんとオチもあるし。
 
最近は幼年期の情操教育が重要さを増してきたとかで、
「いのちのはなし」などという妙な絵本が増えている中で、ペネロペはほんとうに、マイペースというかアレであった。
ほんの題名からしてすごくいい。
 
「きょうはなにするの、ペネロペ」
「ペネロペひとりでふくをきる」
 
「ふくをきる」だもんなあ!最高!
それがひとつのストーリーたりうる事実に私は驚嘆したよ。内容もよかった。
実際、こどもたちにとっていちばん重大で関心のある事柄は、きょうはなにしよう、ふくをちゃんときれた!ということであるとおもうのだ。
いのちのはなしなんて子供にとってはおもしろくないもんねきっと。子供をまえにしてことさらにいのちのはなしを持ち出すべきではない。いのちの大切さをしるのは大切なことではあるが、それを意図的におしえるのは逆効果でさえあると思う。
犬や亀などの動物を飼いながら、いつかそれらが死んだときにはじめてそのかけがえのなさをしる。むしろそのようにしてしか知ることができない。
 
大人だってそうだろう、生きたの死んだの、ほれたのはれたのを本や映画やテレビで見聞きして知ったつもりになって、つくりものの世界に涙を流しさえする。でも本当はかけがえのない人が死んだとき、はらわたを断つような失恋をしたときでしか、それらを得心することはできないのだ。
 
「ふくをきる」ことがストーリーになりうるのは子供向けの絵本ならではのことだと大人は感じる。でもそうだろうか?ネクタイをきれいに結べたらわたしだって嬉しくなるぞ。わたしだけじゃない、だれだってそうなのだ。
そういった楽しみをわすれてはいけない。そんなようなことをペネロペにおしえてもらったのでした。