星座の成り立ちについてずっと不思議だった。昔よく聞いたのは、昔の人は星の間を線でつないでいろんな動物とかの形に見立てて楽しんだのです、みたいな話だ。でも夜空には無数の星があるのだから、どれとどれを結ぶのかという合意がみんなの間でできていないと、今のように整然と重なりなく星座を構成することはできなかったはずである。「みんなが」同じように線を結ぶことに合意し、同じように動物の形を見立てるという話は、夜空を見ている限り、かなり無理があるように思える。
おうし座なんかは、けっこうわかりやすいんだけど、

カシオペア座なんて、いったいどこがどうなのかさっぱりわからない。

同じような疑問は、理科の時間に必ず生徒から発せられた。ちっともそれにみえねーよ、と。それに対して先生は、昔の人はこんな単純な線からも絵を導けるほど想像力が豊かだったんだ、という答え方をしていた。想像力のない私は、そんな立派な想像力を理解することができず、ちっともそれと見えない星座について興味を失った。
でも、先生の解説は間違っていたのだ。星座は、単に目印なのである。全天にわたって無数の星がある中で、ある程度大きな範囲で目印がないと、たったひとつの星について語ろうとするとき困るというだけの話である。そして目印だからこそ、現在認められている星座は、隙間なくびっしりと、それでいて重複なく構成されているのだ。
だから星座は、ロマンチックな妄想の産物(という面もたしかにあるが)ではなくて、それよりも、とっても合理的な必要性によって作られたものである。少なくとも現在認められている88の星座についてはそうだ。星座は時代に伴って変化してきたし、もちろん国によっても違った。それが今の形で世界中に通用するようになったのは、目印としてちょうど良い大きさのものを、隙間なく並べるために学会で議論された結果である。ギリシア神話なんてどうでもよいのだ。