かゆみを感じるのは皮膚だけでよかったと思う。たとえば腎臓かゆくなったら大変だ。病院に行ってカテーテルみたいなのを通してもらってかいてもらうしかない。もしそうだとすると床屋で「かゆいところはありませんか」と安易にきかれなくなるだろう。
足の裏でにおいを感じるようにできていたら、私たちの日常はもっと苦痛に満ちたものであっただろう。まさにそうだったかもしれないがゆえに、足の裏ではにおいを感じるようにはできていない。
爪に痛覚があったら、ヤクザは小指を切るよりも爪を切っていたかもしれない。爪切りのデザインはもっといかつくなっていたはずだ。
利き手や利き足があるように、利き鼻もあるんだろうか。でも鼻には筋肉がないから、利き鼻はないかもしれない。感覚に「利き」はないからだ(右利きの人でも左手よりも右手のほうが敏感ということはない)。しかしそもそも鼻の穴はなぜふたつあるんだ。
イカとかカメレオンのように感情によって皮膚の色が変わったらどうか。
「課長はいま紫色だよ。機嫌悪いから話しかけないほうがいい」
「X君はPさんと話すときに水色になるからきっと惚れているんだよ」
・・・そういうのは、容易にわからない方が生存に有利だったのだ。