落語はそろそろ飽きてきた。
同じ話でも噺家(はなしか)が変わるとまた楽しとは言うけど、それも限界があるよ。聞いたネタの種類は100を下らないと思うが、その中でもけっこうやりやすいネタというのがあって、印象で言うと、だいたい五割かひょっとしたら八割はその類かもしれない。寄席にいってもネットの配信を聞いても、そのやりやすいネタに偏ってくるから、そればっかり聞くはめになってしまう。飽きるのもしゃーないのだ。
しかし私なんかとは比べ物にならない程よく落語を聴いている、いわゆる「通」の人たちは、あいも変わらず寄席に通い続けている。何を楽しみに、そんなに落語をききたいのであるかな。
ことによってはその点で落語は演歌と似ているのかもしれないと思う。落語家が同じ話を繰り返し演じるのと同じように、演歌も同じような曲が同じような歌手によって繰り返し歌われ、新譜も発売され続けている。決まりきった言葉に感動し、決まりきったところで笑い、決まりきったメロディーに心をうたれるという。うわあ、なんかそう考えると落語に興味持った自分がやだなあ。
というわけで、古典落語三遊亭円生桂米朝のCDしか聞かなくなった。どちらもとうに現役ではないが、珍しい話をよくやってくれる人なので。