奈良から帰ってきた。
何をやっていたかというと、正月なので、初詣、凧揚げ。本当はこま回しをしたかったが、なんかすぐに飽きてしまいそうだからやめた。
兄の子供が2歳になっていて、すでにままごとなんかをできるまでに成長していた。私は意外なことに子供受けがよいのでままごとに付き合っていた。そこで気づいたこと。娘は2歳なので簡単な単語(カレー、コーヒーなど)を言うことができるが、文章はまだいおうともしない状態だ。だけど、こちらが言う文章はちゃんと理解しているのである。たとえば「カレー作って」と言えば「かえーかえー」といいながらカレーを作るまねをするし、「カレーもういらん」と言えばカレーをやめて「こーしーこーしー」といいながら食後のコーヒーを入れるまねをする。自分で文章を言えないのに他人の文章を理解できるというのはなんだか不思議な感じがした。でもそれは英語のリスニングをできるのにスピーキングができない私と同じような状態なのか。そう考えると別に不思議でもないのか。聞いて理解するのと、話して伝えるのとはぜんぜん別の能力なのかもしれない。
写真を撮りすぎて合計1GBくらいになってしまった。もうやばい、HDDの空き容量が1GBを切ってしまった。
兄の娘が喜ぶと思って絵を描き始めたのだが、むしろ自分が楽しくなってきていろいろ描いた。
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カバとか。いやカバではなくサイだ。
 
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トカゲとか。
 
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プレステ2のコントローラとか。
昔からスケッチするのが好きだったことを思い出した。スケッチの楽しみというのは、できるだけ現実に忠実にしようと描いた結果ちょっとだけ現実をゆがめた形で描き出せるところにあるのだった。
子供のためにやっていることが実は自分のためになっているという、いかにも月並みな教訓を実感させられた。
そういう意味でこどもは、やはり偉大なのか。スケッチをするときほど、ある物を注視することはない。知っていると思い込んでいるものの中に、意外な発見があったりしておもしろい。これを趣味というべきかどうか迷うところだけど、また新たな趣味の萌芽の予感。