3連休目。
休みってすばらしい。人間は働きながら生きていくようにはできていないことがよくわかる。
 
誰がこんな世界にしてしまったのだろう。その責任の一端は私にもあるのだろうか。
 
あれがほしい、これをしたい、という気持ちをみんなが持っていて、それぞれほしいものが違っていたり、一人では実現できないことをしたいと思っている。それらをお互いに補完し、手伝うことによって提供していく仕組みが、この世界の基本原理になっている。その仕組みだけをみれば、とってもすばらしい仕組みだと思える。
 
でも、どういうわけかお互いがほしいものを提供していくためにおのおのが受けねばならない苦しみは、提供されたものを享受したときの喜びを上回ってしまった。ちょっとの喜びを味わうために、その喜びを上回る苦しみを受けねばならなくなった。つまり、たくさん苦しまなければ、ちょっとの喜びすら味わえなくなったのだ。
 
私が提供を受けているものは、お金だ。
ところが私は、今提供されているほどたくさんのお金は要らないと思っている。これ以上お金が増えても、私の喜びはそんなに増えない。
 
私が仕事をやめたいと思う原因はまさにそこにある。これ以上のお金は要らない。いるとすれば、お金ではない何かほかのものなのだ。
 
何かほかのもの・・・ああ、それは働かなくてもいい環境!
そうとすれば理屈は簡単。私が誰かのために何の努力も支払わない代わりに、誰かが私のために何も提供しなければいいだけの話。それが世の中の基本原理であるからして。うーん間違ってるのかな。